2014年08月09日

離婚理由 離婚理由

離婚したわけでもするわけでもないんだけど。
なんで離婚するのかなーと。人それぞれ理由はあるんだろうが、大体そういうのって生活が破綻する、しているからだよなと。
ってことは生活が破綻してなければ離婚にはならないんだよなぁ。

お互いに認め合う関係になって、でももう若い頃のようなときめきはすでに無い。
子供も生まれていまじゃ一緒に生活してる共闘者のように感じてしまう。
そこに愛はあるのかい?

たぶんもう、そんなに好きではない。愛してるか?って聞かれたら、うんまぁ、たぶん。としか言えない。
一緒にいて居心地もさしてよくない、と思う。セックスもほとんどしないしなぁ。
じゃあなんで離婚しないのか。

TAMなんだろうか?確かに収入は大事だけども。でも大きな借金抱えてきたときも離婚したいとは思わなかったし。
新婚早々病院で余命宣告するよ宣告されたときも離婚は全く考えなかったし。

なんで、なんでこの人と一緒にいるんだろう。
家族ってなんなんだろう。

親兄弟とは縁が切れない。血のつながりは侮れない。
でも夫は所詮他人だ。でも家族だ。
子供たちは可愛いのと可愛くないのが一人ずつ。
子供のために婚姻関係を続けてるつもりは全く無い。どちらかっていうと子供が理由でお家を出たくなるくらい。夫婦喧嘩も子供のことが多い。
子供さえいなければ、もっと仲良くいられるんじゃないか?って思うんだよなぁ。

離婚理由は見つからない。だけど、婚姻関係を続ける理由も見つからない。
こんな気持ちで一緒にいてもいいんだろうか。

まだまだ考える時間、あるのかな。
posted by とも太郎 at 22:58| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

ユニバーサルデザイン

少し噛み付き。

大きな仕事もひと段落して、ほっとひといきというところ。天気もいいし家事にも精を出して、今日も元気にツイッターしてた。
そしたらこんな写真が回ってた。

BZMxZ08CEAAGm9U.jpg

この写真に対して「何なんだろうこの複雑な気持ちは。」ってキャプション(というのか、コメントというのか)がついてた。
それまではいい。
だってこの写真、すごくシュールだもの。
ただこのツイートをRTして投げられたコメントにとってもぎょっとして不快感を覚えた。
その人は「
だっこぐらい普通にやろう?自分の子どもでしょう?いつでも抱きしめてやれよ。」って言ってるんだけど・・・

これ、どうやったら抱っこをサボってる人に見えたんだろう。どうみたって赤ちゃん用の防寒具なのに。

自分の直感を確認するために画像検索したら次のツイートとブログにヒットした。
http://twitpic.com/2zxqan
http://plaza.rakuten.co.jp/greatest29/diary/201301300000/

やはりこれは抱っこ紐じゃなくて防寒具じゃないか。

赤ちゃんってどんなに気をつけて抱っこしていても、どうしても肌が露出してしまってそこから冷えてしまう。でもこの上着があればそれを防げる。
普通のおくるみなんかと違って、お母さんとぴったりくっついてるから温もりもぜんぜん違うだろうし、万が一暑くなり過ぎたとしても、そのときはお母さんも暑いはずだからのぼせ防止にもなる。
しかも両手が空くからなにかあったときに受身も取れる。
こんな便利なアイテムってないぞ!!って。

だけど、件のツイートをしたのは男性。
思ったのは、やっぱり自称イクメンはクソだなってこと。
で?って言いたくなる。
抱っこ紐と防寒用の上着の見分けもつかない、しかも抱っこと抱きしめるも同じだと思ってる。そんな男の人。
で?あなたは赤ちゃんをどのくらい抱っこしてたの?抱きしめてたの?母親がずっと肌身離さず面倒見てる間、外で仕事してるはずなのに、何を知った気になってるの?
一日のうちのたかが数時間、自宅に帰って寝るまでの間に少し抱っこしたからって、その荷重の何を理解しているの?
初めは3kgくらいかもしれない。だけど半年で6kg、1年で9kgだ。2年で12kgだよ??
それを一日中抱っこしてる母親の体がまともだと思ってるの??
首や肩は慢性的に痛い、腰も痛い、肘や手首は腱鞘炎。それでもなにかあったとき、そばにいられるのは私だけ!!と思ってみんな頑張ってる。
それなのに抱っこ紐を使うのは、怠惰なんだろうか。
肩や腰、手首を休ませるために下ろしてしまうくらいなら、体もいたわりながら抱っこし続けていられる抱っこ紐は、どんなにすばらしいものか。
抱っこ紐をうまく使うことで母親の身体的負担もも少し軽くなる、赤ちゃんはお母さんと肌を触れ合わせていられる。それって、win-winの関係じゃないの?何が問題なの??


ユニバーサルデザインって、なんなんだろうって、思ってしまった。
なにも障碍者のためだけのデザインじゃない。
少しだけQOLがあがるものだと思ってる。

彼の言うのが正しいというならば、すべてのユニバーサルデザインはすべて無意味だ。
それって生きやすい、やさしい社会なんだろうか。



posted by とも太郎 at 14:58| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月06日

自分で考えさせる育児

ツイッターで興味のある内容のエントリが流れてきた。

自分の頭で考えさせる教育/ルールを守らない子の育て方
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20131105/1383662344
 
ん〜
ざっくり読みました!
 
育児なぁ
簡単ではないよね。
この記事の中でヒエラルキーを組むと、なぜこの子が素直になれたのかがわかると思う。
A子の祖母>A子の母>A子の妹=A子>筆者、他の大人たち
このヒエラルキーはきっとA子とその周りの人たちも同じように感じていたに違いない。
素直にA子が話を聞くには、周りの大人たちの共通の認識がないといけないと思う。
 
道に迷ったとき、まっすぐ進むか、戻るか。右にも左にも道はある。あの人はおk、この人はNG、別の人に右に行けといわれ、さらに別の人に左がいいよと言われたら、子供でなくても迷うだろう。
 
この場の中ではA子の祖母はA子の母よりも目上なんだとA子は理解しているだろう。そして周りの人もA子の祖母であるというのと同時に、彼女はベテランの保育士であるという共通認識があるのだ。
変な話、「それってちょっと違うんじゃないの?」と思うようなことがあっても、「でもベテランなんだし、そうなのかもしれない。」と思わせるだけのバックがある。
誰もA子の祖母が言うのは間違いがないだろうと思っているのだから、A子は安心してそれを選択することができる。
 
 
 
私もA子の祖母のように自分で考えさせ、判断させる育児をしてきたが、周りのほかの大人がその共通の認識を持たないと、子供はそのように育たない。
子供だって自分の頭で考えるのは大変だ。大人よりも自制心がきかないのに、それを振り切るのだ。
ある意味で自分の感情を捻じ曲げなくてはいけない、とてつもなく苦しい判断を迫られたことだろう。
 
そこでさらに目上の人から「考えなくていいよ、楽なほうにしなよ。」と言われてしまったら。
子供は自分で考え判断することをやめてしまう。誰だって、大人だってなるべく楽に過ごしたいのだから、想像に易い。
 
 
ここからは私の体験談だけれども、私がどんなに子供に自発的に考えて判断し、行動するようにとやっていても、姑や舅から「子供なんだから出来るわけないだろう!」と声を荒げられたら、私も夫の両親という手前反論もできない。子供は萎縮し、とりあえず祖父母の言うことに従わねば、となる。
そのうちに「考えないほうが正しいのだ」と刷り込まれてしまった。
当時、もっと強く、「子供だってちゃんと考えている。意見や判断を聞いて尊重したい。私と夫が保護者なのだから、口出ししないで欲しい」と言えたらよかったのにと、今でも後悔している。
 
 
さて、上記の記事においてもうひとつ重要な点があると思う。それは「母以外の大人からの言葉」である。
子供も3歳にもなれば、自分で考えて主張するようにもなる。親だっていつでも余裕があるわけではないので、つい、頭ごなしに話を進めてしまうこともあるのだ。
子供はそれを理解している。
なので、今回も頭ごなしではないのか?母親の都合に振り回されているのではないか?と子供は疑念を抱く。そしてぐずったりだだをこねたりと反抗するのだ。それをあえて周囲の大人に見せ、「私は間違ってないよね?母さんが我侭してるのよ!」と主張し判断を煽る。
それをみた周りのの大人が見て見ぬ振りをしたり、子供の我侭を認めるようなことをしてしまうと・・・親は窮地に立たされてしまう。
それが、母親よりも目上であるような人たちであれば、さらに効果は増す。子供はその効果を理解したうえで、行動しているのだ。
しかしそこで母以外の大人から「それで正しいと思うの?」と一言問いかけられるだけで子供は気付くものだ。
そしてどうして母に反抗したいのか、自身はどうしたいのかという気持ちがでてくる。
そこを聞かないと、意味がないと、私は思っている。
 
 
 
 
私には子供が二人いて、上の子はすでに小学校4年生、下の子はまだ0歳。
上の子の育児は(誤解を恐れずに言うならば、)失敗した。
私自身が、私の育児で間違ってないと自信を持って主張できたら、子供も迷うことなく自発的に考えて判断し、行動する子になっていただろう。
夫の両親に臆してしまったのがいちばんの間違いであり失敗だった。それだけが出来ていれば、上の子も素直なまま成長してくれたのではないかと考えてしまう。
しかしもう過ぎてしまったことは仕方がないので、あらためて娘と向き合うことにした。
人はいつだって変わることができる、成長できる。それは私も子供もそうだろう。
 
育児は子供が成人して結婚して別世帯になっても続く。それは私が迷ったときに実家に帰ったときに強く感じる。
いつだって子は子、親は親だ。
私も人の親であるけれども、それ以前にこれからずっと先も子であるんだな。
その気持ちも忘れたくないなぁ。
posted by とも太郎 at 19:12| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月29日

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友達って、なんなんだろって、最近よく考える。
私はひとりぼっちじゃないけど、友達は少ないと思う。友達は数じゃない、ってことは何と無く解ってるつもりだけど、でも寂しくなるんだ。

好きって、愛ってなんだろうね?
好きな人がいます、大好きです。これは、きっと、間違いなく愛です。
でも夫じゃないです。
夫じゃない、人を好きになるよ。
恋愛感情じゃないと好きって言っちゃいけないの?
もちろん夫も好きだし信頼してるし、恋愛の愛情とは違うけど、ずっと一緒にいるんだと、離れたくないって思ってる。

いま、自信もって友達と言える人は3人だけかも。
3人とも好き。一緒にいると安心するし、迷ったときには一緒に悩んでくれるし。

ほんとはみんな好き。みんなに好きって言いたい。ハグしたい。でも誤解を招くから、それはしちゃだめ。


私は人の愛しかたを知らない。だめなひと。
人からの愛を、感情を、いまの今まで真剣に受けとめてこなかったから、温もりは知っていても抱きしめかたはわからない。
ちゃんと手をにぎりたい。ぎゅって抱きしめたい。頭撫でて大好きだよっていいたい。
照れ臭いな、恥ずかしくてそんなことできないな。
何が恥ずかしいかって、そう思ってるのが私だけだったらと思うと不安になるし、バカにされないかなって。
そんなことしなくても伝わってるのかなぁ。

私に今できることはなんだろ。
私は与える側の人間じゃないんだ。そんな器用なこと、きっと一生できない。
受け止める。受け止めることしかできないんだと思う。
今はまだヘタクソだし、これから先も器用にできるとは思えないけど。

私にはなんにもない、なんにもできない。
だからって欲しがっちゃいけない。私は私のできる精一杯をやるんだ。




嫌われたくないな、一人になるのは寂しいな。
だから当たり障りのないことばっかりするのかな。
でもそうやって本音も出さないでいるからみんな本気できてくれないんじゃないなかな。

欲張りな自分、絞め殺したいけど、そんな自分もちゃんと愛したいよ。

posted by とも太郎 at 23:42| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もやもやと

なんか書きたいことたくさんあるような気がするんだけど、なんだかまとまらない。
とりあえず箇条書きに。

・夢を追う人と、くすぶる人
・私はオタクじゃない

ちゃんと書けたらいいなぁ。
posted by とも太郎 at 19:17| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月11日

あたらしいあぷり

このブログのアプリ、ライト版が出たので試しに使ってみたんだけど、本文書こうとしたら強制終了するんだけど。
うーん。
posted by とも太郎 at 21:18| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

技巧派

ベランダで洗濯物を干していたら、部屋の中から
「ふえぇぇ〜」
と情けない泣き声が。おちびさんが助けを呼んでいる!!
とのんびり洗濯物を干して見に行くと

これである。

SH3D0680.jpg
なんか笑ってるし。

ただ呼ぶのではなく、ちゃんと危機的状況を作り出してから呼ぶと言うのが。

もしも大きくなってもこれが続くのだとしたら、あまり無理はしないように、と言わなくちゃいけないなあなんて。

おちびさん、今日で半年になりました!
私も31歳になりました。

まだ暑い日が続くね。
posted by とも太郎 at 16:55| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

同属嫌悪

この人のこと、ついついいつも考えてしまうのは、私のいやなところをこうも堂々と前面に押し出していて、かつ、悪びれる様子がまったくないっていうね。
いや、実際悪いことはないんだろうけども。
これだけ実績とか地位とかあれば、ちょっと変なこと言ったとしても誰にも咎められないんだろうなあなんて。自由なんだろうなぁ。
だけども、あんなにみんなから敬われるようになると、ちくっとした誰かの発言なんて耳に届かなくなってしまいそう。私はそうはなりたくないなぁ。
まあちょっと嫉妬でもあるかな。ああいう風に大きな仕事をするっていうことは誰にでもできるものじゃないからね。そこは純粋に尊敬する。私には出来ないだろうから。
でも私がしたいことってそういうことじゃないからなぁ。地元に根を下ろして、小さいながら、小さいからこそ出来る、小さいことしてほそぼそとしていたい。
小さい係わり合いで穏やかに暮らしていたい。

さて。前置きだったんだけどw

今日もブログに変なこと書いてた。
http://transistar.info/?p=1968

相談って、なんなんだろうね?w
う〜ん、突っこみどころたくさんあるよね。
歌手になりたいって、「とりあえず」その辺のライブハウスで飛び込みで歌う?
絵描きになりたいって、「とりあえず」SAIを買う?
映画を撮りたいって、「とりあえず」スマホで撮影?
これって相談の答えになってないよねぇ・・・

これで得られるものは「歌手になった『つもり』」、「絵描きになった『つもり』」、「映画を撮影した『つもり』」。
どれも成功への道を指し示すアドバイスになってないと思うんだけど・・・

つもり、になることって、誰でも出来るじゃんねぇ?w
しかも「SAIすら買えないの?」って、喧嘩売ってるですかね・・・
信頼して相談していると思うんだけど、こんなんじゃ悲しくなって終わりだよね。

>答えは単純なのに、とにかくいいわけをする。お金がない、道具がない、一緒にやってくれる人が居ない、自信がない。

で、実際「つもりごっこ」をするのには必要のないものばかりかもしれないけれど、成功しようと思えば必ず必要になってくるものだよね。
活動しているうちに身についてきたり、人がついてきたりしてくれるかもしれないけれども、そうじゃないかもしれないっていう「不安」。
その不安を相談したいんじゃないのかな?って思うんだけどなぁ。
活動をしていきながらちゃんと活動資金がためられるのか、道具を揃えるのにどれだけの金銭と時間がかかるのか、心の支えや協力してくれる人と出会えるか。
この人はそういった不安も一切なしに成功したんだろうか?だとしたら本当にすごい自信過剰で、本当に残念な人だとも思う。
でもそれで成功してるんだから、やっぱりすごい・・・。

(>そしてこの手のタイプは、手を貸しても無駄だ。道具がないっていうからそれを与えても結局やらない。ホント馬鹿らしい。やる気が無いのならアドバイスの時間を返してほしい。
まあやる気がなくて話聞いて欲しいだけの人がいるのも事実だけどもね;)


この人の思考の到着点はただ一つ、小金を持って東京にいない人には成功は訪れないってこと。

とっても地元を馬鹿にした発言をするし、ある程度の実力や金銭がないと出来もしないようなことをさも当たり間のことかのように発言する。
実際、小金とちょっとした才能を持って東京にいる(行く)人たちがみんな成功してたらこんなじゃないでしょうよ。
じゃああなたは生まれも東京だったなら、今よりもビッグになっていたとでも?
まあ可能性は否定しないけれども、沖縄っていう僻地に生まれたからこそ、首都東京に憧れて闇雲に働いてきたところがあるんじゃないのかしら。
そんなに沖縄に生まれ落ちたことを否定するということは、今までの出会いやお世話になった人たちのことも全部否定することになると思うんだけど。違うのかしら。

この地に生まれ落ちたからこそ、今の自分があるんだと思う。


私は洋裁でコスプレ服を縫う専門職をしたいと思っている。じゃあそれは東京でなの?となると、全くそうは思っていない。
地元だからこそ、だと思ってる。
東京に行かないと何にもない、楽しくないなんてことは、きっとない。私がそうしたい。そう思わせたい。




なんていうか。
自分の思い通りにならない人は嫌なんだーって感じに読み取れました。
忙しい人なので、実際そうなんでしょう。
私も忙しいときに娘が話を聞かないと腹が立つので、理解できますw

で、ブログの下のほうに手登根さんについて少し書いているのだけども。

んー

要は売れそうにない子を囲って構って満足しているだけ、だよね??
そうやって上から指示できる人、操作できる人をそばにおいて、自己満足に浸っているだけじゃないのかな。

・・・考えすぎか。



ともかくあれだな、相談事に「もっと自信持って!本気で頑張るなら協力するよ。」って言えるようになりたいな。
私にはまだそんな力はないけどね。
そう言えるようになりたいな。
posted by とも太郎 at 15:36| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月05日

三度目の。

最近臭うんですよ。臭い!
旦那じゃなくて、悲しいことに娘が臭い。旦那は・・・まあ年頃なのでそれなりの加齢臭。

なんかもうね
年頃なのでなんか新陳代謝もいいのかな?洗濯すれば別に気にならないけど、帰ってきたときの臭さときたら!!
やはり女の子なのでこのへんは私も気を遣わねばですよ。
なのでこう、洗濯上がりにいいにおいになるように、香りの強い柔軟剤を使いたいのです。
だがしかーし。
だんなが嫌がるんだよね、柔軟剤。汗とか水を吸わなくなるとか何とかで。(私は気にならない)
やわらかいタオルとか好きだからほんとは柔軟剤使いたい。衣類もいいにおいになるし。好きなんだけど。
さて、どうしたもんか。と思ってたらいいもの見つけました!!

加香剤!!
(爽快ドラッグ→http://item.rakuten.co.jp/soukai/c/0000009636/
こんなに種類があるんだね〜

初めて見つけたのは近所のディスカウントストア。
酸素系漂白剤を探しながら、なんとなく柔軟剤が諦めきれなくて、香りつけるだけならシートもいいかも〜と洗濯洗剤コーナーをうろうろしてたら見つけたんだけど。
そのときはちょっと聞いたことがない外国製の物のを買って帰ったんだけど、結構減りが早い!しかもそんなに香りがつかない・・・
う〜ん・・・
次はレノアのを購入。これも結構減りが早い・・・そんなに香りもつかないので、量を調整して多めに入れてるからなんだけどさ。
やっぱり加香剤はあまりよくないのかも・・・と諦めかけてたところで、近所のドラッグストアでダウニーの加香剤を発見。
県民が大好きダウニー。これでダメならもう諦めよう、とだめもとで購入。
そしたら!!!
そもそも使う量が先のどこのメーカーかわからないものレノアのものと比べて半分以下!なのに香りがしっかり!!!
こ、これはーー!!!
値段はちょっぴりだけ、ダウニーのほうがお高い(と言っても50円くらいw)んだけど、結果としては使う量が少なくて済むダウニーの府が経済的。
んでもって個人的なことなんだけど、香りがやっぱりダウニーのほうが好きw

やー
これで少しは娘の乙女感を守ることができただろうか。
そしていい香りの洗濯物は私も楽しいw
いい買い物した(*´ω`*)ぴかぴか(新しい)



最近は愚痴ばっかりだったから愚痴じゃないものもねw
posted by とも太郎 at 09:37| 沖縄 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月09日

噛み付きます。

先に投稿した人のブログがあまりにも酷いので。ちょっとこれから噛み付く。
あと、せっかくなのでコピペで引用させていただく。

引用ここから↓


私が小学生の頃、同級生に「獣」のような人がいた。服はボロボロで、あまり学校には来ず、来ても勉強してる様子もない。


友人関係は「不良系」が一応居るのだが、遊びもめちゃくちゃで、画鋲と紙ででダーツの矢のようなものを作り、壁際に人を立たせて的にして遊んでいた。加減を知らず、回旋塔やブランコでは人が吹っ飛ばして遊んでいた。死人が出てもおかしくない状況。


直感的に『こいつは絶対近づいてはならない』と思い、極力関わらないようにした。いわゆる「不良系」のやつらはあくまで「常識」への反発をしているので最低限の常識がある。しかしその「獣」には「常識」が感じられなかった。だから、私は同じ人間とすら思えなかった。


その「獣」の家はうちの近所にあった。

ボロボロの木の家で、お母さんらしき人がリヤカーでダンボールを運んでいた。うちの近所なのに、住む世界が違うと思った。


中学に上がった頃からその「獣」を見なくなり、少年院に入ったと噂で聞いた。


その「獣」はたまたま生まれた環境が悪かったんだと思う。

私は、人間の個々のポテンシャルはそう大きく違わないと思っている。ただ、生まれた時代・場所で人生の8割ぐらいは決まってしまう。

学歴なんてものも本人の才能でもなんでもなく、生まれた環境でそれなりの教育を受けるチャンスが有り、手の届く距離に適切な大学があり、通える条件が揃えられたというだけのこと。伸ばせる環境がなければどれだけ潜在能力があろうとも無いに等しい。

私の場合は、生まれた家はそこそこ裕福で、親はまともな人でちゃんと躾けてもらえたし、かなり早いうちにパソコンを手に入れることができた。幸運に感謝している。


もし私が「獣」の家に生まれてたら、今こうしてPCでブログを書くことは出来なかっただろう。そしてその「獣」も、適切なしつけと教育を受けていれば「人間らしく」なってたことだろう。


人間は生まれたときから人間じゃない。レベルの高い教育に支えられているからこそ、共通言語で意思疎通でき、読み書き計算ができる。それでも何かしらの問
題でうちに躓いてしまい、今の社会に必要な教育レベルに達していない人はたくさんいる。底辺といわれる高校で小学生レベルの授業をしていることを馬鹿にし
てはならない。そうした学校の努力おかげで今の日本は支えられている。



今このブログを読んでいる人はPC・スマホを使いこなせる恵まれている人だと思う。だから、たまたま運が悪かった人たちを馬鹿にするのではなく、もっとやさしくしてもいいんじゃないかな、と思う。


引用ここまで↑



この人はこの時代に、日本に生まれて、なのに、カースト制度の中に生きてる人なんだなぁって思ったよ。
この人はクシャトリア、文中の獣さんはバリアなんだろうなぁ。

だけどもだ。

獣は獣のルールで生きている。獣は何も考えていないわけではない。
人と獣は、どちらが上、どちらが下なんてことはないと思うんだ。どんな生き物にだって、生きる権利はあるんだ。
なんだろう。
いろいろ噛み付きたいところが多すぎて収集つかんよ。

貧乏人は生きていてはいけないのかしら。
最下位の家庭に生まれたとして、教育を受けられずにいれば、獣(人ではない)と書き、教育を受けられたとしたら、そこでやっと「人間らしく」なるのであって、人間として扱う気がないように受けて取れる。

とにかく、貧乏なお家に生まれてくれば、生きる価値なしと。
最後の一文。
つまりは人間の家庭に生まれることができなかった獣が、人として生きることを意識し始める前に目を潰し、声を奪い、息の根を止めてあげようよ、それが優しさでしょ?って感じた。
どこまでも偉そうだな。
そこまであなたは偉いのか。

「たまたま」ちょっと裕福な家庭に生まれ、ろくな努力もせずにレールに乗り、なんだかんだ成功を収めたあなたに、獣の生きる姿は滑稽に見えるだろう。
それでも地の底から這い上がり、心の底から生を渇望し、どうにか命を繋いでいく獣の生き方のほうが私は好きだ。
だったら私は獣として生きていたい。
posted by とも太郎 at 00:34| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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